読書いくつか

いやぁ、今週末は、のんびりした休日。やっと時間をゆっくり使える感じ。
ので、昨日(土曜日)は、本を読んで過ごした。久しぶりだなぁ。
この週末に読書したので、いくつか記します。

リハビリの夜

脳性まひ当事者にして現役の小児科医でもある著者が、自らのリハビリ経験を全身で語りつくす驚愕の書。(帯の記述。)
とっても面白かった。書きたいポイントが複数あるのだが、2点に絞って書きたい。

  • 焦りとこわばり−身体内協応構造

 この本の著者、熊谷晋一郎さんは脳性まひの当事者としての経験を紹介していますが、はじめに脳性まひにより生じる「運動と姿勢の異常」について「焦りとこわばりの悪循環」と紹介し、その根拠を「身体内協応構造」と呼ばれる、脳をほとんど介さない身体の協調した活動によって起きると解説しています。
 この記述で僕が惹かれたのは、まず、当事者の立場から「運動の異常」を記述し直した事、さらにそれを「焦りとこわばり」という平易で当事者よりの表現をしただけではなく、その根拠となる生理学的なモデルで説明した事です。「焦りとこわばり」という表現の方が当事者内部の現象をドキュメントしていますが、この表現のままだと何がそうさせるのかがわかりません。そこで身体内協応構造の解説が加わることで、当事者が主観的に経験するドキュメンタリーに納得のいく説明がなされ、単なる脳性まひのドキュメンタリーにとどまらない読み方が出来るようになりました。
 例えば、私達でも、強い情動がこみ上げる時に身体が思うように動かないことって、誰にも経験があると思います。例えば緊張しているときに手と足がうまく動かないとか。こういう時って感情がブレーキしていると思いがちだけれど、僕はそう思っていません。僕自身は、感情は身体の状況をフィードバックされた脳が後付けで命名しているものだと思っています*1。脳が全ての行動を支配していると考えない方が、不随意の世界を理解・受容するときに容易だと思います。そして、感情をベースに考えなくてもよい*2ようになると、ケアをひらく時に感情を用いて感情にぶつかる必要がなくなってきます。今回の例の場合、「焦りとこわばり」があることを無視せずに、でもその背景に「身体内協応構造」の存在を知ることで、「焦りを取ろう!」とか考えるよりも理性的で現実的な対処(身体の協応を適切に知り、どういう行動や準備をすればベターな行動になるかを工夫する)をすることができます。

  • 協応構造を他者との関係に考える

 本の後半で、まなざす/まなざされる関係、ほどきつつ拾いあう関係の2つの関係が紹介されます。まなざす/まなざされるとは、規範に基づいた監視関係であり、あそびのない状態で緊張が高まるものとして記述されています。一方でほどきつつ拾いあう関係では筋肉の緊張をときほぐす関係に代表される、お互いの状況を逐次的に感じ取りながら主体性がどちらにあるかよくわからない関係というような記述がされています。
 後者の方が、気持ちいい&心地いい事は殆どの人に実感できることでしょう。そこでこの本の後半では、ほどきつつ拾いあう関係がチームワークで行う行為、例えば病院での診療や失禁時の対処(!)で成立するかに触れています。ここでは、隙間とかあそびと言った表現で、目標となる行動に向けた余裕(フィットするかどうかもぞもぞする余裕だと思います)があることが要件と記述されています。それと、便失禁の例では、援助者が感じる「怯え」や「とまどい」を無視しないでくれた方が筆者が援助者をエスコートしやすいと書いています。
 目標を限定して直線的に行動することや、援助者がケアに関係ない感情を抑圧することはよくありそうですが、心地のいい関係をつくるためには別な方法があると言う示唆をくれていると思います。

 ちなみに僕は、男性の役割は「ヒマだから仕事などをする」だと思っています。男性はヒマで種の保存(出産)という目標に限定されない存在だからいろんなことをしでかしていくと考えていまして、人間の面白さ(滑稽さや、ある意味発展?)はそういったところから生まれるんじゃないかなぁなんて、次の本に関係ある事も書きました。

  • 最後に、オマケの感想

 この本では、あんぼが予想していたよりもオープンに性や排便について多く語られていて、著者の熊谷さん、もしかしたら気さくで面白い方なのかも?!と思わせました。
 というのも、あんぼは、筆者と同じ時期に大学のキャンパスにいました。あんぼの記憶が間違っていなければ、外国語か何かの選択科目で、同じ教室にいた事があるような気がします。その時には全く話しかける事もなければ接点もない状態でした。車いすで移動する彼の姿は目立っていたので、記憶にあるのです。当時の僕は異文化との関わり経験が乏しかったために、彼と言う異文化との交流はやめておいた方が無難だろうと判断していました。
 今だったら、もう少し違った対面になるかもしれません。もし本の話題で関わるなら、「僕は受動的優位性を感じたい人なので・・(笑)」と話すかもしれない。そういう話題を18-19歳の時にはできなかったような気がするので、16年前の自分が声をかけなかったという判断は今でも覆らないでしょう。いつか、誰かの紹介でお会いしてみたいものだ。できれば挨拶だけではなく、少し時間をかけて、のんびりと。

リハビリの夜 (シリーズケアをひらく)


河合隼雄 心理療法家の誕生

次はこの本、河合隼雄 心理療法家の誕生です。
 臨床心理と言う分野を拓くことに尽力した、故・河合隼雄さん。彼が世間で注目されるにいたったのは、岩波から出版された「コンプレックス」という書籍を執筆したことがきっかけでした。
この本は、その書籍を書くきっかけを作った人物である大塚信一さん(岩波の編集者)が河合さんとのエピソードや「コンプレックス」以前の状況を書き、後半では河合隼雄さんがユング研究所にいた頃に書いた論文で扱っている、日本の神話*3に関する彼の解釈についての記述で構成されています。
 全体がとても読み応えのある構成ですが、個人的に面白いと思って読んだのは、後半の日本の神話に見られる男女の位置づけ。アマテラスが女性神(っぽい)としての記述をされていて西欧神話と性役割が逆だということ、僕は誰かと話したいと思っていたけれども微妙なテーマ*4なので誰とも議論したことがなかった。その話を河合隼雄が論文にしてくれていたとは!と思って、ワクワクしながら読み進めました。
 日本で結婚の誓いを男性から行うことは西洋文化での意味とは異なるんだよということとか、月に対する見方が違うんだよとか、最近忘れていた色んな関心を喚起してくれました。この本では、河合隼雄の解釈に大塚信一さんの説明が入っているので、あんぼが記述すると伝言ゲームも甚だしくなってしまうため、涙をのんであんぼさんからの記述なしです。久々に2時間以上かかって読む本になりましたが、読んで良かったと思わせる本でした。でも、この本を読んでない人とこの本について語ることは難しいなぁ…。

河合隼雄 心理療法家の誕生

*1:驚いたから心臓がバクバクするのではなく、心臓のバクバクを脳で感じ取って「あ、自分驚いてる!」と思うということ

*2:感情を無視するという意味ではなく、感情の存在を認めるものの全ての行為の根源であるかのような見方をしなくなるという事

*3:日本書紀古事記に描かれている

*4:天地創造の話とか天皇に対する見方の話に発展すると、ジェンダーの話を超えてしまうので厄介