久々の休日に心のケアの事を書く

いやぁ、今週末は、のんびりした休日。やっと時間をゆっくり使える感じ。
ので、昨日(土曜日)は、本を読んで過ごした。久しぶりだなぁ。

 一昨日、盛岡市障害福祉課の方々と話す機会があった。盛岡市では避難所を4か所以上設けている*1のだけれど、他地域からの避難者を効果的に受け入れるために、避難所を2か所くらいにして物資と人的ケアを効果的に支援したいらしい。しかし盛岡市内の一部の住民がひとりで過ごすことは不安で、かつ自分の住まいから近いところの避難所がいいと言って動かないらしい。うーん、確かに盛岡市民で困っている人にも支援は必要なのだが、おそらく盛岡市内には倒壊・半壊した建物はないはずで、住まいがなくて避難しているわけではないはず。心のケアってことになるんだと思うのだけれど・・なんだか難しい話。

 私の妻の祖母の家は三陸鉄道甫嶺駅の近く*2にあった。義父(妻の父)と義母が先日に避難所に迎えに行き、今は妻の祖母と叔父は妻の実家で過ごしている。義父によると、三陸鉄道の線路より海側には何にも残っていなかったそうで、家の跡があるかないかとかそういう次元の話ではなかったそうだ。写真を撮る気にもなれないくらいにショッキングな光景だったそうだ。

 僕は、こころのケアの重要なところは想像力と協調力だと思っている。この二つは、いわゆる同情ではなくて、相手の置かれている状況や心情を想像して存在したりしなかったりすることだと思う。例えば、家がなくなったら、思い出の品や仏壇や色々なものがなくなる。物や場所に付随していた記憶が繋がりを失い、自分の脳裏に残るだけになってしまう。仏壇を介して存在していた先祖や家族の記憶、ぬいぐるみやアルバムを介して存在していた家族の成長の記憶、そういったものが浮遊してしまうのだ。人との関わり、人との思い出が浮遊すると、温かみのある様々なものがぽっかりと空いたような気持ちになるかもしれない。そしたらその人に必要な事は、言葉で話す事ではなく、温かみのある様々な暮らしの行為だと思う。お鍋をつつくとか、布団にくるまるとか、お風呂に入るとか。

 首都圏以西の医療従事者系の方の主張のなかに心のケアをテーマにしているものがよくある。心のケアを論じる際に、PTSDとかフラッシュバックとかをイメージしてケアについて論じているケースがよくあるんだけれど、あんまり決めつけない方がいい。そういう、ショッキングな症状で被災者の気持ちを推量して関わろうとすることは、憐れみの気持ちでの心のケアをすることにつながりかねず、気持ちのいいケアではなくなると思う。生死の境をさまよったとか、怖い思いをしたとか、そういう反応へのケアも大事なのだけれど、それ以外にも考えた方がいいと思う。今回の災害は津波による部分が大きく、生活空間が壊れてしまった人の方が圧倒的に多い。津波を見ようとして見ていた人はそんなに多くないと思う。だから、生活空間や生まれ故郷の家や学校や職場が失われてしまったという「記憶」へのケアを考えてもらいたい。自分たちが自分のアイデンティティに関わる場所や関係が存在しなくなったら、どういう心の動きになるのかを考えてもらいたい。それが、今回僕が記す、想像力のコアの部分なのです。

*1:3月18日現在。

*2:場所はこちらのリンクで。