来週から音楽療法を再開します

ウチの病院の音楽療法士さんが、今週中に東京から戻ってこれるとの連絡がきた。
音楽療法士さん、地震当日に東京へ出張していたために帰って来られず首都圏でやきもきしていたようだ。来週から、音楽療法が再開されます!よかったー。こういうときこそ、音楽の力だよね。

相変わらず物資は不足している。例えば、高齢者の嚥下困難者に向けて準備している流動食が入荷しなくなっている。乳製品ではヨーグルトが重宝されていたのだけれど、震災以降ヨーグルトは手に入らなくなった。そこで、窮余の策として乳酸菌飲料にとろみをつけると言う方法を採っている。
今日は、水を高層階に組み上げるポンプが不調になって、水の供給が安定しなくなった。でも半日で復旧した。ウチの病院の設備関係をつかさどる主任さんは、本当にすごいと思う。彼は、被災当日を合わせて6日間のうち、自宅に何時間帰ったんだろう。水がなくなった時には、自家発電機を動かして、地下の貯水槽からポリタンクに水を汲み、さらに病棟へ水をくみ上げる方法を考えて指揮して水を確保した。酸素が足りないと言えば電話がつながりにくいのに業者へかけあって酸素を手に入れた。病院と言う組織では裏方さんにあたる立場だ。それでも彼は愚痴をこぼさず、今回の水の一件でも臨床職のところにひと部署ごとに話をしに来てくれた。しかも電話でなく、関係する複数の病棟師長の一人ひとりに対面でである。師長たちは、勤務者のエンパワメントに多くのエネルギーを割いているから、水に限らずネガティブな情報には弱くなっていて、対面で話してくれた方がとてもスムーズに話が進む。今回も、対面だったからこそ師長たちが節水のためのアイデアを積極的に出し、職員と患者さんたちに提案をして導いていったのだと思う。そう考えると、ウチの病院の機能がストップせず、むしろ外部からの要請を積極的に受け入れようと多くの職員が思えているのは、彼の力が大きい。

きょうの夕方、安保あてに直通電話が来た。「あした、そちらに行ってもいいでしょうか?」という問い合わせ。聞くと、一人での暮らしで心細く、食事があまりとれていないらしい。そこで、『医療機関なのでいわゆる診療も致しますが、食事も提供しますし心細さへの対処を最優先で致しますので、ぜひいらしてください』と答えた。もちろん、その方には入院ではなく通院でケアする。
いま、備蓄されているガソリンは少ないけれど、患者さんの送迎バスはなくさないし、訪問看護も続けている。それは、人と人とのつながりがケアになる事を、行動で示そうと思っているから。きちんと備えをして、冷静な判断もして、その上で行動すれば実現できると証明したいから。・・というと大げさっぽい書き方だけれど、まぁ、そんなところ。

被災以後blogを書くようになってから

 ここでblogを書くようになって、blog見たよというメッセージをいただくようになった。
 僕は職場では、患者さんにも職員に対しても支援者になっている。職場では疲れていないようなのだが、家に帰ると疲れているなぁと感じる。帰途に着いた時に、誰かからの励ましメールをもらったり、宮城や福島の仲間たちから安否確認をし合うメールが届いたりすると、エネルギーが充電されるような気持ちになる。

アカデミックなつながりだと、日本看護科学学会の広報委員会でご一緒している兵庫県立大学看護学部の神崎先生が、いま仙台市若林区で支援活動をされている。その神崎先生のご紹介で、兵庫県立大学看護学部の先生方が、安保の身近で起きている事象に対して助言をくれている。いま、病院でも物資がないので、冷静な判断とアイデアで勝負するしかないのだ。

僕はインターネットの信奉者ではないんだけれど、僕はインターネットのおかげで、友人と仲間の声やアカデミックな支援をもらっている。全てに返事はできてないけれど、blogへのコメントやtwitterのつぶやきやmixiの足あとを通じて、全てのリアクションを受け取っている。それは、僕を確かに勇気づけてくれるし、明日以降も支援者として行動する力になっていると思う。本当に、ありがとう。

あ、今日の末筆。妻の祖母、無事であることがわかりまして、妻の実家に迎えることができました。とっても元気です。ご心配下さった方、ご報告が遅れました。
あと、明日はblog更新をお休みします。