中田の引退に思うこと(その2)

ある試合のために精一杯の準備をすること。
ある試合で精一杯の努力をすること。
ある試合のために応援してくれる多くの人をイメージすること。


ただ単に参加するよりも、上に書いたことをした方が、スポーツを通じて得たり感じたりすることが多くなると思う。
しかし。
子供の頃よりも、大人になってからの方が、上に書いたことを続けるには誘惑や迷いが多いのだと思う。
例えば
・自分の時間を費やして無駄になったと思うことが怖かったり。
・スポーツをすることが現実世界からの逃避ではないかと思ったり。
・努力しても意味が無いと思ってみたり。
大人になってからの方が、純粋に何かに打ち込むことは難しい。
では、どうやったら何かに打ち込むようになるのだろうか。


やや不可能課題に聞こえるかもしれないが、何かに打ち込むようになるための契機になる経験は、大切な試合を通じて感じるものなのだと、私は思う。


中田の場合にはきっと、過去2回のワールドカップ(特に2002年のトルコ戦)で自分の力を出し切ることの大切さと難しさを感じたのだと思う。
大舞台に強いと言われてきた中田だからこそ*1、大舞台で力を出し切れなかった自分を感じたのではないだろうか。
だからこそ、3回目のワールドカップを前にして、誰になんと言われようとも、他人の価値観や練習スタイルと違っていようとも、練習をしたのだと思う。




スポーツは勝つことが全てなのではない。
勝つことが目的なのでもないと思う。
人生において唯一平等な「時間(または機会)」を楽しく誰かと分かち合うために、スポーツがあるのだと思う。
その時間(機会)をより充実したものにするために準備をすること、それは日本語的にいえば「一期一会」のための準備*2なのだと思う。
準備をすることの尊さはなかなか実感できないものだけれど、一度でいいからその経験(努力した経験?)をすれば、きっと見方が変わるのだろうなと思う。

*1:中田は、実は大舞台に強いのではなく、初舞台に強いのだと思うのだけれど

*2:それは勝つためとかいい成績を出すための準備という意味ではなくて、楽しむための準備も含まれると思うのだけれど