中田の引退に思うこと(その1の付録)

さてここからは、無理やりオリエンテーリングのハナシにしようと思う。
インカレ団体戦はチームで戦う。
代表選手は3人しかいないが、その3人がベストのパフォーマンスができるかどうかは、チーム全体にかかっている。
コーチや監督(オフィシャル)は、選手が安心して全力を出せるだけの環境を作る必要があるし
後輩や控えの選手は、応援として選手の背中を押すことが必要だと思う。


僕は、インカレ団体戦で、4年生のときに主将として戦い、優勝した。
以上のように書くと、あんぼは成功者であり、オリエンテーリングを通じていい思いをしただけであるような誤解をする読者がいるかもしれない。
しかし僕自身のオリエンテーリングでの経験には嬉しかったこともあるが辛かったことも多くある。例えば、自分自身が主将のときに団体戦で優勝したことは嬉しかったが、自分が後輩たちに上のようなメッセージを伝えられなかったことが辛い経験として残っている。
その経験を書こうと思う。


 僕は自分が主将のとき、自分とチームが勝つための(強くなるための)練習を最優先した。例えば僕は、平日の午前中に高尾山をマラニックするというのを始めた。朝7時に家を出て8時半から2時間マラニックすれば、3限の授業に出られる。御殿下で90分間の有酸素運動を週3回して、心肺機能を高めるトレーニングを取り入れた。チームに対しては、強化合宿のメニューを参加者が好むものよりもメニューとしての充実を選んだ。実際に東大チームで走った代表選手とコーチ、控え選手のみんなは合宿やトレーニングを通じて自分たちの力を出し切る充実感を感じ、その結果東大チームは6年ぶりに優勝したのである。
 しかし僕のこのような姿勢は、サークルとして存在していた東大チームにとって「まったり楽しむ系」と思われる人々をケアしないように見え異質な姿勢だったのだと思う。その結果、僕の2つ下の代のみんなは「あんぼさんに置いていかれた」という気持ちを持ったようだった。まだ実力も自信もついていなくて、1年生のときのように純粋にオリエンテーリングを楽しむ気持ちが薄れ始めていた2年生(2つ下)のみんなは、東大チームの優勝を目の当たりにしたときでも距離感をもっていたようであった。そしてその距離感は、僕の見立てに間違いが無ければ1年後のインカレに引きずられてしまった。代表メンバー4人と一部の控え選手が、その他のメンバーからやや距離感をもって見られているような印象を受けたのである。走る人と応援する人という線引きがあるように見えたのである。
 もちろんこの見立てが事実かどうか確認はできないし、事実だとしても他に理由があったかもしれないのだが、翌年の東大チームは優勝できなかった。いや、優勝できなかったというよりも、ベストコンディションで挑めなかったように見えたのである。主力のメンバーがけがをしていたために、本来のレースができていなかったのである。
 僕は自分が卒業してから東大チームの様子を1年間見ていながら、チームに対して精神的な貢献をすることができなかった。ケガをする前にケアをするとか、練習でケガをするリスクを冒さなくてもチームの雰囲気を高揚させるとか、そういったことはできたはずなのに。


 たぶん、実力も自信もついていない部員たちの意識を高めたり代表選手の気持ちを安定させることができるのは、選手ではなくて、そういった立場を経験したことのあるOBやOGなのではないかと思う。


 学生のみんなが安心してオリエンテーリングに対する準備ができるように、いろんなOBやOGがいて安心させられるといいのではないかと思う。今、僕が岩手の大学チームに対して心がけていることの一つでもあるし、岩手大学岩手県立大学の卒業生が近くに残ってほしいなと思う最大の理由でもある。
 具体的に名前は出さないけれど、岩手大学岩手県立大学でも、卒業生(過年度生も含めて)たちが自分なりの方法でオリエンテーリングオリエンテーリング部と関っている。そういうOBやOGがいると、現役生にとって安心して自分たちのやりたいことをできる雰囲気になると思う。
 ただし岩手県の2チームに限って言えば、オリエンテーリングを熱く楽しむタイプのOBが岩手を離れているのが残念である。今の現役生のみんなには、ぜひケガをしないようにして(ケガをしている人はあせらずに治して)ほしいと思う。近くにはいないけれど、みんなの先輩にはオリエンテーリングに情熱を燃やした(ている)人がいるのだから。