帰納的な知的活動をするために

〜この日記はけっこうまじめに書くつもりなので、何度か小さく更新します。コメント大歓迎!ただし読者をあまり意識しないで書いていますので、言葉の使い方がおかしい箇所があります。ご容赦ください。


看護科学学会2日目。


この日のメインイベントは二つ。
13:30-15:00 交流集会の運営
15:30-17:30 ある研究会議への参加
どちらも、「質的研究」と呼ばれる研究スタイルに関するイベントなのでした。


交流集会の運営では、質的データの分析用コンピュータソフト「ATLAS.ti」を紹介すると言う企画。ここではデータの分析過程をお見せすることが最大のヤマ。これまで、質的データを分析し帰納的に知的生産物にする過程は、今のところどんな教科書にもほとんど載っていないから、見る人はきっと帰納的な概念形成のプロセスを見て興味をもつだろうな、という自信を密かに持っていた。去年の今頃(ちょうど1年前の科学学会だった)にふっかー氏のノートパソコンでATLASを見せてもらった時には、正直言ってオープンコーディングに便利なだけのソフトウェアではないかと思っていた。しかし実際に使い始めて見ると、Family ManagerやNetwork Managerなど、概念の比較分析には高頻度で必要になる分析方法が具体的なコマンドとして採用されていた。過去に出版されている書籍でも、オープンコーディングの過程はよく書かれているし、解釈可能性やデータ乖離のチェックなどについては書かれている。しかしその後のAXIALとかselectiveな概念付けを行う時の頭の中のイメージを具現化した本はなかったので、多くの僕の後輩や同期は本から理解するのにとても苦労していたように思う*1。だから、実は僕にとってあの交流集会は、コンピュータソフトの紹介というよりも「GT法における質的データ分析のうち比較分析の部分に関する紹介」くらいの意識だった。


交流集会の後で参加した研究会議では、「博士論文に質的研究の方法論が用いられた時の評価の方法」について検討するものだった。いわゆる一般的なクリティーガイドラインは存在するのだが、その上でさらに博士論文の評価には何が必要なのかを探ろうとしている研究。米国で10件以上のインタビューを分担して行ってきているのだが、米国の研究者たちも審査基準を作ることには及び腰のような印象を受けた。それは大筋では「質的研究は個別性の高いもので、基準に当てはめることでは良質な研究が評価されないのではないか」という意見だった。けれど、学位論文として評価する場合には、主席を決める際には良質な論文を正当に評価しなければならないが、学位の審査と言う意味では、必要条件を決めておくことが重要な気がする。例えば「ディフェンスができること」が審査の大雑把な基準なのだとしたら、どんな質問に対してどんな答えができることが良質なディフェンスなのかを知る(知らせる)必要がある。




さて、ここからは「ですます」調に。
なぜ僕がここまで質的研究の話にこだわっているかと言うと、僕の考える人間の知的活動の多くは、帰納的に行われると感じているからです。
僕は最近になって、やっとベイズ理論を源流とする確率論に出会うことができ、とても自分の実感にフィットするなぁと感じています。ベイズ理論とは、ピアソンを源流とする確率論とは基本的に仮説のおき方が異なり、人間の主観(予測とか思考)をも確率的データとして扱うことを許容している理論です。その結果、確率論を「仮説を検証する」ことから「仮説を修正する」という考え方まで発展させることが出来てきています。
大学に入りたての頃、ピアソンを源流とする確率論に触れてとても失望したのを覚えているのですが、実はそのときにベイズ理論系の確率論にも触れていたら、僕は今頃数学の道を選んでいただろうなと思います。
少しわき道にそれましたが、自分自身の知的活動を通じて、基本的な人間の知的創造性は帰納的な行為なのだろうと感じています。そのような知的活動のあり方を研究として認められるような世の中*2になって欲しいなぁと言う、漠然とした希望があります。
もちろん、仮説を検証するという行為で知的生産をする方法もあるでしょう。しかし、ピアソンを源流とする確率論は大量の事象があって初めて成立する上、仮説が検証されたかどうかという2値データの結果を生み出すのが基本的なコンセプトです。もちろんピアソン源流の確率論によって工業製品管理などの経済学的周辺領域への数学の応用は一気に進歩していったし、物理などの自然科学の領域でも通用することも多いのですが、僕が相手にしたいと思っている領域では、どうもフィットしにくい*3と思いまして。僕は、シンプルなデータの集積で十分証明できるテーマを扱うことが多そうです。


もちろん、僕の情緒的背景は今回の交流集会にも研究会議にもあまり影響していませんが、自分にとってはとても重要な1日でした。


こういう機会をくれたふっかー氏や会場の整理を手伝ってくれたえりい氏、ふったん氏に感謝。


読者を意識していない日記を読んでくれた方、どうもお疲れ様でした&ありがとう。

*1:けど、GlaserとかStraussの本をよく読むと、自分で分析方法に気づくことができるのだが。

*2:といっても学問の世界だけでいいのですが

*3:少なくとも多変量解析をしなきゃいけないくらいの事象の集積を一つの研究のために行うのは良心が咎め