卒業研究と大学院と学術誌


8:20 新宿三丁目フレッシュネスバーガーで朝ごはんを食べる。
   もっとパンが香ばしかったような・・気のせい?
9:00 都内の看護学校で卒業研究のスーパービジョン。
   今回、学生が持ってきてくれているテーマは4つ。

   ・一般病棟でターミナル期を迎えた患者へのケアの特徴
   ・小児科病棟で働く看護師が患者の死を乗り越える方法
   ・災害発生時に看護学生が医療協力者として貢献するための方法
   ・摂食障害をもつ方に対する看護の方法

   この看護学校では、卒業研究は文献研究が一般的。
   でも実は、文献研究をきちんと行うことはとても重要だと思う。
   だから今日は、文献の探し方をレクチャーしました。

  「医中誌で探した文献より先に、市販の書籍などで体系的な知識を簡単にまとめておくこと」
  「研究テーマを明らかにするためには、少し違う領域の知識を仕入れて比較することが重要」
  「文献は、取り寄せるよりも自分で行ってコピーしたほうが、ついでの発見があって良い」
  などなど。

  最初に書いた学生のテーマのうち1つめと4つめは、市販の書籍や文献からかなり整理することができると思う。けど一方、2つめと3つめのテーマはなかなか文献だけでは難しい。
  なので、2つめのテーマでは教育的な配慮として、臨床看護師などの経験者と座談会をする機会をつくることにした。たぶん看護師の生の声を聞くことが、これから臨床に出る学生には効果があると思う。ちょうど適任な小児看護経験者を知っているし。
  

  今回、この仕事をもらえたことはとても嬉しかった。学生が何かを知っていくプロセスに同席できるというのは、幸せなことだと思うから。 




12:00 新幹線で仙台に向かうが、車両故障の影響とやらで減速運転している。がーん。
14:20 遅刻して教員会議に出る。
   この学科では、紀要ではなく学術誌をつくろうということになってきている。
   その考えの背景には、広く原稿を募ろうということと大学院設置への夢があることがある。
   大学院で大学院生と時間を共有できることは、僕の幸せ一覧のなかではかなり上位にある。
   だから、岩手県立大学でも大学院生のみんなと自主ゼミを行ったし
   今の職場を選んだ理由の前提に「大学院を設置する目標がある」ということがあった。
   

   大学院は、ただ単に学位という名のハクをつける場所じゃない。(去年3月ごろのBLOG参照)
   人類に対して知的貢献するための覚悟を身につける場所なのだと思う。
   (だから、大学院生には教授の気まぐれに振り回されないで自分の知的欲求に貪欲であってほしいと願うことが多いです。あと、知的なインプット・アウトプットのバランスにも心がけて欲しいなと思うことが多いです。)


   学術誌のようなISSNのついた書籍は国会図書館によりかなり長期にわたって保存される。
   そういう意味で、学術誌を作るということは、自分の一部を保存してもらうということでもある。
   とても責任の大きな仕事だと思う。