カンブリア宮殿:5月22日

「夢を実現するための行動力」

2006年5月22日放送 ゲスト:渡邉美樹(ワタミ社長) 「夢を実現するための行動力」と題し、若手ベンチャー企業家の元祖・ワタミの渡邉美樹社長をゲストに迎える。 渡邉社長は、夢を実現するためには“達成する日付け”を決めることが大切という。 渡邉社長のスーツの内ポケットには常に、自分の夢とその達成日が書き込まれたカードが入っている。そして、一日に何回もそのカードを見直すのだという。 これまで、「社長になる日」「株式上場する日」などを定めそのとおり実現してきた。 最終的な目標は、「2008年に1千店舗を展開」「2020年売上高1兆円」。 夢を実現するために、何を実践しているのか、村上龍が問う。 これから起業しようとする人はもちろん、今の時代に“夢”をもち実現することの大切さ、テレビを見ているビジネスマンが明日から使えるハウツーなど見所満載。

ワタミ社長の渡邉さんは、折に触れてフリーターおよびニートに関する言及を積極的に行っている(と思われる)方でもあります。
渡邉社長は労働を夢の実現のプロセスと位置づけているので、「労働することが基本」と考えている方のようです。


さて、僕はこの考えに同意するわけではないです。(このBLOG内で何かに反論するのは初めてかも)
労働することは確かに尊いことです。働くことで多くの納税が可能になる現代社会においては、自分が働くことで間接的に社会に貢献することができているわけですから、働くことを社会で生きる基本と見なすことが可能でしょう。
一般的に、学生生活を終えて就職することを「社会人1年生」という表現をすることを考えても、就業して労働することが社会で生きる必要条件であるように思わせます。
でも、果たして「労働することが基本」としていいのでしょうか?
以下に、少し極端な例を挙げましょう。
僕の祖母は、対価を得られるような労働をしていないです。でも、祖母が生きていることは少なく見ても僕や他数人にとって重要です。僕の祖母は金銭という意味での社会貢献はしていませんが、その存在が他の人の生活に希望や潤いを与えてくれるという意味では、社会(というには狭い範囲かもしれませんが)に対する貢献をしていると思います。
というわけで、「労働することが基本」と言い切ることに対しては違和感を感じるのです。


ただし誤解を招かないために追加すると、「ニート」と呼ばれる人々に対してまで労働しなくてもいいじゃないか、と言っているつもりはないです。
青年期ごろには、労働以外に社会貢献の方法が多くありません。例えば、家族を守りたいと思ったら、家族のために何かをしたいと思ったら、多くの場合は労働すること(家事による家族のサポートを含む)を選ぶでしょう。
ニートと呼ばれる人々のうち、多くは「自分が雄飛する機会を伺いつつ機会がない」と自分で思っているのではないかと思います。人は完全ではないから、青年期であっても充電期間が必要な場合もあります。その充電が休息なのか学習なのか人との出会いなのかはわかりませんが、雄飛できるだけの充電ができればいいなと思います。


誰かの喜びを感じながら生きられるように、まず自分自身の喜びを感じられるようになりたいものです。


んー、自分なりに言葉を選んで書いたつもりだけれど・・どうかな。