企業は減税、個人は増税

今日は、経済政策に物申す。

与党が07年度税制改正大綱決定、企業中心に減税

 自民、公明両党は14日、2007年度税制改正大綱を決定した。  安倍政権の経済成長戦略に沿って、企業の設備投資にかかわる減価償却の限度額を撤廃したり、同族会社の留保金課税を中小企業に限って撤廃したりする企業向けの税負担の軽減が中心だ。  ほぼすべての項目が減税か税負担の軽減を延長する内容で、4年ぶりの減税型となった。  自民党税制調査会町村信孝小委員長は、減税規模を「国、地方合わせて6000億円強(平年度ベース)」との見方を示した。07年度は国税で4100億円、地方税で400億円の計4500億円規模となる。ただ、個人所得課税の定率減税はすでに07年中の廃止が決まっており、1兆円を超す負担増となる。このため07年度は「企業減税、個人増税」が鮮明になった。 12月15日1時44分配信 読売新聞

設備投資を増やしてもらおうと言う戦略のようですが、企業が設備投資で成長すると言う考え方には少し違和感があるんだよなぁ。
設備投資に対して減税し人に対して課税する場合には、企業にとっては相対的に継続雇用のメリットが小さくなるので短期型の労働者が増えていくと思う。一般労働者の労働意欲を支えるものが継続雇用でないケースで経済的に成功しているアメリカの場合は、積極的に移民を受け入れることで新たなアイデアやエネルギーを生み出しているように見える*1
でも、たぶん多くの人はアメリカ型の経済構造は望んでいないし、日本がアジアの移民大国になれるとも思えないのだよね。アメリカの場合は程度の差こそあれ、ほぼ全員が移民だったからこそできたことなのだと思うし。

流動化と競争を原理とした経済活動にはあまり賛成できない



竹中平蔵さんが経済財政諮問会議にいらした頃から思うのですが、日本である程度成功した人がアメリカで経済学を学ぶと、アメリカ経済の光の部分だけをクローズアップする気がするのだよね。
人材の流動化は、確かに能力のある人にチャンスを増やすし、評価される機会が増えるから良貨が生き残り悪貨が駆逐される可能性も高い。
けれどそれは、人間の生命エネルギーが無限だったり平等だったりする前提で成立するし、経済的成功を追い求めることが唯一の目的であるという前提が必要になると思う。実際には「まったり過ごす」ことが幸せと言う人も多いわけだし、身体や精神の障害によって生きるエネルギーの全てを仕事に振り向けるのは難しい人たちもいる。いや、障害がなくたって、仕事に振り向けるエネルギーの量には違いがある。人間同士の競争意識を経済活動の根幹に据えることになると、こだわり(エネルギー)の強い人が生き残ることになる。*2
ワーカホリックが生き残る社会って、なんだか病的な気がするんですよね・・。
それともう一つ付け加えると、自己責任という言葉が使われるようになって久しいですが、仕事に関して言えば責任が軽減されることで能力を発揮できるタイプの人はとても多いと思う。評価される期待感で仕事をする人ばかりではないんじゃないかなぁ。


まぁそんなことを思いました。

*1:現に、アメリカの情報系会社のここ20年間の創業者の半分以上は外国籍または米国籍を新たに取得した人たちである

*2:よく数学(確率論)で言われるギャンブル勝てない論の根拠って、相手の資本が無限大のときにギャンブルをし続けると自分が最終的に資産を残す可能性はほぼ0%だというものなんだよね。