「あなたのサポーターの一人です」というメッセージ

えーブログの更新頻度が落ちているワタクシです。
なぜ更新頻度が落ちているかと言うと、今は看護実習の期間だからなんです。
僕が担当している精神看護実習では、いろんな方に出会えます。
そこで、今日は少し看護実習のヒトコマをフィクションでご紹介・・。
(以下の内容は基本的にフィクションです。個人が特定されることのないように。。)

ある患者さん。うつの診断を受けて、入院中。
学生が接すると、どう見ても普通の感じ。適度に快活だし、患者さんとも医療従事者ともコミュニケーションの問題がない。病棟のナースも医師も、その患者さんが十分回復して地域で暮らすだけのスキルを持っていると判断していて、「退院するタイミングや環境を決めるのはあなた次第ですよ」と言っている。
ただ、当の患者さんは慎重。「できれば、退院したら家族の面倒を見なきゃいけないし、仕事もしたい。ただ、その一歩を踏み出すのはなかなかねぇ。」
その患者さんは、学生にこう言っていました。「若いっていいですよね。可能性がある。」「自分は優柔不断な性格で、今までの人生はなんとなく流されて生きてきたんです。一人暮らしをした経験もない。」「病院があるこの街は規模も大きいし仕事もありそうな気がする。でも、この街で一人暮らしをすることは考えていない。だって、家族の面倒をみなきゃいけないから。」「でも、家族の住む実家では仕事があまりない地域だから、親戚とかに頼むことになるのですかねぇ。」

その話を聞いた学生たち。その後、学生どおしでこんな会話をしていました。

学生A「確かに、新しい環境で一人で住むのって勇気が要るよ。」
学生B「でもさ、実は仕事をしたいんだけれどそれを譲っているっていう雰囲気じゃなかった?」
学生A「たしかに。そういう表現をするのって、やっぱ自信がないからかなぁ?」
学生B「んー、そうかもね。」
学生A「患者さんのチャレンジを、気持ち的に応援する人がいればいいのにね」
学生B「そうだね。たしかに、新しいことに一人でチャレンジするのって臆病になるかもね。」
学生A「私たちは気持ち的に応援しているってことが伝わるといいかもね。」
学生B「うん。どうやったら伝わるかなぁ?」



こういう話*1、けっこうあるような気がしています。
たぶん精神科に限らず、入院経験は人生の履歴を一旦停める事になる可能性があるんだと思います。そこから新しく人生をスタートさせるには、大きなチャレンジが必要な場合があるのだと思います。


たまに僕は学生に「HelpとSupportは違うんだよ」って言っています。その人がやろうとしていることを奪うのではなく、あくまでもサポーター。サッカーで言う12番目の選手になろうという発想。(もちろん、回復してきて自分でプレイできるときにサポーターになるのですけれど。)
患者さんにとって友人でも家族でもなく、病棟でたまたまであった学生や僕です。けれど、お互いに一人のヒトどおしとして出会い時間を共有した関係ですから、応援する気持ちが生まれるのは自然なこと。で、そんな応援の気持ちが相手にも(押し付けにならない範囲で)伝わると、きっといいのだろうなぁと思う今日この頃です。

*1:フィクションですが